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第3章 あなたが、好き 第4話

Auteur: 花宮守
last update Date de publication: 2025-10-13 00:00:41

 彼は私の首筋に目をとめ、見る気はない、何も見ていないと言うかのように視線を逸らした。あっと思い出しても、もう遅かった。そこには、彼がつけた痕を晧司さんが上書きしたことが、はっきりと見て取れるはず。一連の出来事に頭がぼんやりして、なんて言い訳だ。ショールで隠そうとも思いつかなかった。

 おそらく私は、隠す必要がない環境にあった。彼との関係を。少なくとも、キスマークを人に見られたとしても、後ろめたく感じる必要のない関係。従兄妹同士の恋人か、それとも……。

 ああ、それとも、もう終わってしまったんだろうか。だから晧司さんは、寂しそうに私の背中を見送ったの?

 昨日、あんな形で別れてしまった夕李に何も言えないまま、次から次へと考えてしまう。晧司さんとの仲に期待をし……縋ろうとしたのに、躱されてしまった気がしている。

 間違いなの? 

 私の、勘違い?

 記憶をなくした私に優しいあの人に、必要以上に寄りかかってしまっているだけだというの? 

 私の帰る場所は、ほかにあるのだろうか……そう、例

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  • 愛は星影に抱かれて   第3章 あなたが好き 第16話

    「食べられそうかな」「ええ。でも、びっくりしちゃった。『一品』どころじゃないんだもの」「これでも品数を抑えたんだけどね」 持参してきたエプロンを外しながら、夕李は風のように笑った。雲をゆっくりと運んでいき、青空を出現させる風。「では、女神様。こちらへどうぞ」 彼にとって私は、アルテミス。月の女神だ。食卓には、ちょうど私が座ると正面に来るように、一枚の絵ハガキが置かれていた。「これ……」 何の仕事をしているのか初めて話してくれた時に見せてくれた、展覧会の目玉となる絵。太陽神と月の女神の双子を描いている。昨日、彼が案内してくれて、二人で見た絵でもある。「実は、昨日渡そうと思っていたのを忘れていたんだ。行く前は、それだけは忘れないようにしようと思っていたのにね」「ありがとう……大切にする」 絵ハガキに触れ、心からお礼を言った。彼は私の横に立って絵ハガキを見つめ、「うん」と言った。それで十分だった。 昨日、私たちは美術館に着く前に、初めての抱擁を交わした。細いのにしっかりと筋肉がついている彼の体躯。私は彼に運命づけられているのだと思っていた。昨日の夜、ここに帰ってくるまでは。 夕李が計画してくれたデートコース。美術館のあとの食事もお茶も、ゆったりとした会話を装いながら、日が暮れてからのことを考えずにはいられなかった。夜を待ちながら観た映画は、切ないラブストーリー。その後向かったホテルで、彼は私をベッドに横たえながら「好きだ」と告げてくれて……私は、彼の行為をひどいやり方で止めてしまった。 それなのに、こんなにもよくしてくれる。「ありがとう」 彼を見上げ、お礼の言葉を繰り返した。「私……もっと、ちゃんと、元気になるね」 私を大事に見守ってくれる人たちに対しても、夕李に対しても、それが、今私にできる努力なんだ。この食事は、夕李なりの励まし。昨日、私が深く傷つけてしまったのに、なんて懐の深い人なん

  • 愛は星影に抱かれて   第3章 あなたが好き 第15話

     そのまま、キスされると思った。けれど、そうはならなかった。「リン。頭痛のことだが……君が入院していた病院に行ってみるかい?」 え。 それは……。「退院後、特に定期受診はしなくていいと言われたが、具合が悪くなればいつでもすぐに来なさいというのが先生の指示だ」 定期受診は、なし。それはつまり、私の記憶喪失の症状は、診察や薬でどうこうなるものではないということ。「ううん、今は……そこまでは」 首を横に振った。 直感。今、下界に下りていくのは何だか怖い。長い髪が、私の漠然とした不安を代弁するように揺れた。「わかった」 晧司さんは私の額を優しく撫で、シャツの真ん中のボタンをかけた。「さあ、君も少し休んでおいで。食事もとらなくてはいけないよ。彼のことだ、見繕ってきてくれたとは思うが」「ええ。パンとコーヒーを」「彼を随分と待たせてしまったな。私はもう少し眠ることにするが、その前に話がしたい。呼んできてくれるかい?」「はい」 用の済んだタオルと、晧司さんが脱いだ服を持って、私は部屋をあとにした。 廊下へ出ると、食欲をそそるおいしそうな香りが、キッチンの方から漂ってきた。「ちょうどよかった。出来立てだよ」 夕李の穏やかな声。彼は、キッチンに隣接したダイニングで、食卓のセッティングを終えたところだった。「こんなに……」 まるで特別な日のためのディナーのように美しい食卓が、そこに完成していた。 彼が買ってきてくれたパンを軽くあたためたもの。コーヒーも、テイクアウトの容器から、私のお気に入りのカップに移し替えられ、湯気を立てている。運んできてくれた箱いっぱいに入っていた野菜をたっぷり使ったサラダとスープは、肉や魚もバランスよくとれるようになっている。夏野菜の煮物もおいしそう。 食器と食材の組み合わせ

  • 愛は星影に抱かれて   第3章 あなたが好き 第14話

     彼は私を腕に抱いたまま、吊戸棚に手を伸ばした。「すまなかったね。危ない目に遭わせてしまった」 やっぱり。この戸棚は、彼の身長に合わせて作られている。自然な動作で彼は着替えを取り出し、扉を閉めた。その動作を観察していた私に微笑み、私は彼の手から服を受け取った。「危ない目だなんて。ちょっとよろけただけ」 無理に背伸びをしたから、という言葉を続けることはしなかった。代わりに、「大丈夫。ありがとう」と言った。 彼の素肌がシャツに覆われていく。着替えを手伝うのもまた、私の自然な行為なのだと知った。彼が上からボタンをかけていき、私は下から。途中で指が触れ合う瞬間が好き。……そう、私はこの時間が好きだった。蓋をされた記憶の中で、確かに。 上からと、下から。ひとつひとつボタンを順番にかけていき、指が重なったところでいたずらっぽく目を合わせる。その時の気分によって、どちらかが譲ったり、真ん中のボタンをかけるのは後回しにしてキスが始まったり。傍から見たら恥ずかしくなるようないちゃいちゃが、私たちの日常になっていた。 なくさないように、胸の奥にまたひとつ、記憶のピースをはめ込んだ。 今、また。上からと、下から。ゆっくりと進んでいく二人の指が触れた。彼の指先が私の指先を撫でた。私も同じようにした。真ん中のボタンをかけるのはあとになりそうな雰囲気。 晧司さんの唇が小さく開いた。

  • 愛は星影に抱かれて   第3章 あなたが好き 第13話

    「大丈夫よ、晧司さん。少し頭痛がしただけ」 彼の胸に手を当てて、落ち着かせながら説明する。「風邪をうつしてしまったかな」「それは、まあ……一緒にいたのであり得るかも」 風邪による頭痛とは違うと思いながらも、まだまだ本調子ではない彼に深刻なことを考えさせたくはなくて、話を合わせた。「何ならあとで、あのお薬を私も飲んでみます」「……一発で効く。それは保証する」 唇を歪めた晧司さんの顔がおかしくて、かわいくて、自然に笑い声が零れた。「ごめんなさい。ふふっ」 空気が緩んでいく。彼は私の頬に手を当て、耳を撫でた。「いいんだ。私はとても好きなんだよ。君のその笑い声がね」 好きという言葉にドキッとした。一瞬ごとに、安心と不安が入れ替わり、入り乱れる。笑い声を好きだと言ってくれただけなのに、大きな意味が込められていると考えたくなってしまう。期待したい思いと、失望したくない警戒心が、私の中で戦っている。 私と晧司さんが体を重ねる関係にあったことは、間違いなく事実。自分の昨夜の反応から、私はそう判断している。 それより何より、私は、この人との間に「好き」という言葉が存在してもいいのか……かつて存在していたのかどうかが知りたい。 聞きたいけど、聞けない。 とろんとしている晧司さんの瞳は、まだ回復しきっていない体調のせいと、薬の作用もあるだろう。 元気になって、私の体や心の状態ももう少し先へ進めるようになったら、聞けるチャンスがあるかもしれない。 晧司さんは、考えをまとめる私をじっと見ていた。

  • 愛は星影に抱かれて   第3章 あなたが好き 第12話

     思い出したのではなく、いくつかの情報から導き出した結論。そこに違和感はなかった。晧司さんの別荘の中にある、今は晧司さんが寝室として使っているこの部屋は、もともとは私の部屋。何かの都合で彼がここを寝室として使うことになり、急遽ベッドを入れた……。 抱きしめられたまま考えを進めようとしたら、ズキンと頭が痛んだ。「痛っ……」 ピンと張っていた推理の糸は、痛みに取って代わられてしまう。「リン」 晧司さんが、私の顔を心配そうに覗き込んだ。ふわりと漂う安心感。 同時に、「この人はどこの誰なんだろう」と、まるで強制的にわき出してくる疑問。私が病院で目覚めた時から、この人を信じられる、信じたい要素はたくさん積み重なってきているのに、またゼロから知ろうとするかのように。ううん、ゼロどころかマイナス。何かひとつつかんだ気がするたびに、前より遠くなった気がしてしまう。扉を開けさえすれば景色がつながるのに、ゆらゆらと遠ざかる。 それはおそらく、自分の中の防衛本能。記憶を閉じ込めている力と同種のものだ。 晧司さんの方もまた、何かを必死で守ろうとして、自分自身に強く戒め、頑ななまでに閉ざしている扉がある。 ――リン、私の……。 彼はその先を言おうとはしなかった。途中まで言いかけたことさえ、悔やんでいるかのようだった。だから、今は聞けない。

  • 愛は星影に抱かれて   第3章 あなたが好き 第11話

     彼は笑みを浮かべた。そのまま少しの間、私をうっとりと見つめていた。私は、彼の髭剃り前の顎を、いたずらっ子のように撫でていた。満たされる。ただ、これだけで。「……そろそろ、服を着ましょうね」 名残惜しい気持ちと、甘やかしたい気持ち。この人に、限りなく優しくしたいと願うあたたかな想い。記憶をなくす前の私が抱きしめていた呼吸は、この人といる時の自然な感覚はこれなんだと、心の炎が歓喜している。 もっとこうしていたいと目で甘える彼をあやす仕草をしながら、立ち上がった。着替えは壁の吊戸棚に入っている。着替えをどこにしまっているのかと、素朴な疑問として聞いた時に教えてくれた。私には少し高いけれど、絶対に届かない高さでもない。背伸びをして、扉の取っ手に指を引っかけた。「んっ」 足もとが定まらない。「リンッ」 一瞬ののち、立ち上がった彼にきつく抱きしめられていた。拭いたばかりの胸元に、うっすらと汗が滲んでいる。鼓動が速い。「晧司さん……」「心臓が止まるかと思った……」 大げさね、と頭の中の私は笑っている。けれど、声に出して笑う気にはなれない。私が覚えていない何かの出来事が、彼にこれほどの警戒心を抱かせてしまっている。それは一体、何だったんだろう?  同時に、私は彼の行動からひとつの情報を得ていた。 この吊戸棚の高さに、私は慣れていない。以前からあったものではないんだ。 記憶の欠片は、まだ、かき集めれば片手の手のひらに収まってしまうくらい少ない。そのわずかな情報量の中でさえ、晧司さんは私に甘えて、世話を焼かせてくれていた。私が彼の着替えを用意することもあっただろう。それなのに、私の体はこの棚の高さに対応できなかった。 私の好みの本が収められた本棚。 彼が使うには低い机。 もとは書斎だったところにベッドを入れたような違和感。 それに、この吊戸棚。腕の中からちらりと見上げると、部屋の中のほかのものに比べて真新しい。つ

  • 愛は星影に抱かれて   第3章 あなたが、好き 第5話

     彼は小さく笑って、脇に置いてあった段ボール箱を持ち上げた。「僕に強がっても駄目だよ。詳しくは聞かないから、無理に元気な振りもしないこと。いいね?」 太陽の中に見え隠れする影。謎めいた明るさ。閉じ込められた山の中で、夏中、私を楽しませてくれた。その時間は、彼を傷つけてしまったことで終わりを告げたのではなく、なおもこんなに優しく続いている。「ありがとう」 彼がくれた言葉に、しっかりと目を見て応えた。 切れていはいない。私たちの間にある糸は、何色なのかはわからないけど確かにつながっている。ならば私は、逃げずにこの縁と向き合おう。それもまた、記憶の扉に通じているのかもしれないから。「重

  • 愛は星影に抱かれて   第1章 年の離れた従兄 第3話

     天霧鈴、二十七歳。十二月二十一日で、二十八歳を迎える。  今、わかっていることはそれだけ。職業も、元の住まいも、晧司さん以外の身内の存在も、一切知らされていない。先入観なく自分で思い出せるのならその方がよいから、と言われている。 あの日、お医者様に呼ばれた晧司さんは、「すぐ戻るよ」と私の手を握った。彼の体温だけが、この世で唯一、確かなものに感じられた。ほかに私を知っているという人が現れる様子もなく、看護師さんが何度か出入りした。自分が点滴だけで生かされてきたこと。それは、かなり長い期間であること。少しずつ状況がわかってきた。 病室は特別室で、晧司さんは親族用に仕切られた小部屋で寝泊

  • 愛は星影に抱かれて   第1章 年の離れた従兄 第2話

    『大きなリビング』からテラスへと出られる窓は、開け放たれていた。半分だけ屋根がある広いテラスには、朝食の支度が整っている。晧司さんは、柔らかな椅子に私をそっと下ろした。彼は、向かい側ではなく私の右隣。  七月上旬の光は強いけれど、適度に日陰ができる造りなのであまり気にならない。水面を渡るそよ風は涼気を含んでいる。 「気持ちいい……」  ほぅ、と息をついて、コーヒーのポットに手を伸ばした。晧司さんのカップを引き寄せ、ゆっくり注ぐ。彼は何か言いかけたけれど、黙って待ってくれた。ん……重いけど、大丈夫。ポットを置くと「ありがとう」と温かな声。彼はお返しにと、私にカフェオレを作ってくれた

  • 愛は星影に抱かれて   第1章 年の離れた従兄 第1話

    「リン、食事の支度ができたよ」 低く、穏やかな声が私を呼ぶ。「はい、今行きます」「こちらへ運ぼうか?」 戸口から姿を現したのは、従兄の天霧晧司さん。今日も優しい笑顔。「いえ、大丈夫です。今朝はとても気分がいいので」 本心からそう言ったのに、彼は心配そう。部屋の中へ静かに入ってきて、身支度を済ませた私を眩しげに見た。「今日は本当に調子がいいんです。洗顔も着替えも、途中で休むことなく済ませることができたんですよ」 クローゼットから、服を選ぶ余裕もあった。薄い緑色のサマードレス。「それはよかった。しかし、一度に動き過ぎてはいけないよ」「晧司さん、本当に過保護ですね。もうじき、あ

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